新潟地方裁判所 平成2年(わ)281号 判決 1991年3月20日
主文
被告人乙川一郎を懲役一年八月に処する。
未決勾留日数中一一〇日を右刑に算入する。
被告人乙川一郎から、押収してある覚せい剤一袋(平成二年押第四七号の2)を没収する。
本件公訴事実中、恐喝未遂(平成二年(わ)第二五九号事件)の点につき、被告人両名は無罪。
理由
(罪となるべき事実)
被告人乙川一郎は、いずれも法定の除外事由がないのに、
第一 平成二年九月一七日午後一時ころ、新潟県長岡市<住所略>中裏公園前路上に駐車中の普通乗用自動車内において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンを含有する結晶約0.04グラムを胃薬に混入して嚥下し、もって、覚せい剤を使用し、
第二 同月一八日午後一時一五分ころ、同県三条市<住所略>医療法人積発堂富永丁海病院駐車場において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンの塩酸塩の結晶約0.205グラム(平成二年押第四七号の2はその一部)を所持し
たものである。
(証拠の標目)<省略>
(累犯前科)
被告人乙川一郎は、
(1) 昭和五七年七月一九日新潟地方裁判所で覚せい剤取締法違反、暴力行為等処罰に関する法律違反罪により懲役一年二月に処せられ(三年間保護観察付き執行猶予、同五九年二月一六日猶予取消し)、同六〇年一二月二六日右刑の執行を受け終わり、
(2) その後犯した傷害罪により同六三年三月一一日新潟地方裁判所長岡支部で懲役八月に処せられ、同年一〇月二一日右刑の執行を受け終わり、
(3) その後犯した傷害罪により平成元年一月二七日新潟地方裁判所長岡支部で懲役一〇月に処せられ、同年一一月五日右刑の執行を受け終わった
ものであり、右各事実は、検察事務官作成の前科調書並びに右(2)及び(3)の各判決書謄本によりこれを認める。
(法令の適用)
一 罰条
判示第一の所為について
覚せい剤取締法四一条の二第一項三号、一九条
判示第二の所為について
同法四一条の二第一項一号、一四条一項
一 累犯加重
刑法五九条、五六条一項、五七条
一 併合罪の処理
刑法四五条前段、四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第二の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重。
一 未決勾留日数の算入
刑法二一条
一 没収
覚せい剤取締法四一条の六本文
(一部無罪の理由)
一 公訴事実
本件公訴事実中、恐喝未遂(平成二年(わ)第二五九号事件)の点は、「被告人両名は、丙沢三郎と共謀の上、平成二年九月七日、新潟県三条市<住所略>医療法人積発堂富永丁海病院一階第二外来診察室において、被告人乙川一郎が交通事故により同病院へ入院中に同病院医師丁海四郎(当時四三年)から暴力を加えられ負傷したと因縁をつけ、慰謝料名下に金員を喝取することを企て、こもごも同人に対し、「暴行したんだから立派な傷害事件だ。県の医師会に電話してそこの偉い人に話した。相手はどこの病院だとか名前を言ってくださいと言っていた。」「人を殴って怪我させたら慰謝料を払わんばないんだ。」「金払わなきゃ刑事事件にしてもいい。」などと申し向けて金員を要求し、もし右要求に応じなければ同人の身体、名誉などにいかなる危害を加えるかも知れない気勢を示して脅迫し、その旨同人を畏怖させ、同人から慰謝料名下に金員を喝取しようとしたが、同人が警察に届け出て要求に応じなかったため、その目的を遂げなかった。」というものである。
二 当裁判所の判断
1 (認定事実)
証人乙川ヨシノ及び同五十嵐輝八の当公判廷における各供述、証人丁海四郎及び同丸井富士江に対する当裁判所の各尋問調書、丁海四郎及び丙沢三郎の検察官に対する各供述調書、丁海四郎、五十嵐輝八、丸井富士江、新垣晋及び大岡幸博の司法警察員に対する各供述調書、司法警察員作成の捜査報告書(平成二年九月七日付け、同月一〇日付け)及び犯罪経歴照会回答書、司法巡査作成の写真撮影報告書、判決書謄本(四通)、略式命令謄本、押収してあるカセットテープ一巻(<証拠>)及びレントゲン写真三枚(<証拠>)、被告人両名の当公判廷における各供述、被告人乙川一郎(以下、「乙川被告」という。)の検察官(同年一〇月八日付け)及び司法警察員(同月三日付け、同月四日付け)に対する各供述調書、被告人甲野二郎(以下、「甲野被告」という。)の検察官及び司法警察員(同月三日付け、同月四日付け)に対する各供述調書を総合すれば、本件起訴にかかる恐喝未遂事件の全貌について、左記の事実が認定できる。
記
(一) (乙川被告の入院状況)
乙川被告は、昭和五八年四月二〇日午後一一時すぎころ、乗用車を飲酒運転中にコンクリート壁に激突する自損事故を起こして受傷し、翌二一日午前零時一五分ころ救急車で新潟県三条市<住所略>医療法人積発堂富永丁海病院(以下、「丁海病院」という。)に運び込まれた。
同病院では、副院長の整形外科医師丁海四郎(以下、「丁海医師」という。)が乙川被告の治療にあたったが、乙川被告が右大腿骨骨折、上顎骨骨折、右足関節内外後顆(以下、「右足首」という。)骨折、両膝・左拇指挫創、全身打撲の重傷であったことから、丁海医師は、直ちに乙川被告を入院させて、点滴、鎮痛剤の投与をし、右大腿骨及び右足首の各骨折部分について牽引等の治療行為をした。
乙川被告は、負傷の痛みが我慢できず、看護婦がくると、「牽引を外せ。注射が効かねえ。ぶっ殺してやる。」などと大声を出し、手足をばたつかせて、雑誌等を看護婦に投げつけたり、看護婦の頬を叩いたりして暴れることもあった。乙川被告が、このように騒いで手がつけられない状態であったため、通常であれば、入院後一週間目くらいにする手術もできず、足の骨折部位も治療中なのに悪化していく一方であり、そのため却って痛みが増した乙川被告は、昼夜を問わず大声で騒ぎ立てて、周囲の病室の患者に迷惑をかけ、看護婦詰所のインターフォンもやたらと鳴らす有様であり、看護婦仲間には、要注意人物となっていた。
乙川被告は、同年五月一七日、右足首の骨折部分の手術を受けた。
丁海医師としては、右大腿骨骨折については、牽引により自然治癒する見通しがあったため、その手術はせず、また、上顎骨骨折は、新潟大学附属病院へ転院させて手術を受けさせる予定でいた。
(二) (丁海医師による殴打事件)
丁海医師は、看護婦から乙川被告の右の行状等を聞いていたが、乙川被告の骨折は、当人が安静にして治すほかなく、他の入院患者に迷惑をかけさせないために、回診時を利用して、乙川被告にその旨の注意を与えていた。
丁海医師は、右手術の後日の夕刻、丸井富士江看護婦(以下、「丸井看護婦」という。)を連れて病室に回診に訪れた折、乙川被告に対し、治療方法の説明をし、安静にしないと怪我が治らないことや他の入院患者にも迷惑がかかっていると注意したところ、乙川被告は、丁海医師が上顎の骨折部分の治療もしてくれず、痛くてしょうがないのに、これを分かってくれないと立腹し、「牽引を外せ。ぶっ殺してやる。馬鹿野郎。」などと騒いだ。丁海医師は、乙川被告がいくら注意しても聞きいれず、このままでは治るものも悪くなるし、他の患者のためにもおとなしくさせなければならないと考え、付き添っていた乙川被告の母親に対し、一言断って、ベッドの上に仰臥している乙川被告の両肩を両手で押さえつけて、「静かにしろ。」と申し向けたうえ、ベッドに上がって乙川被告の腹部の上に馬乗りとなり、両肘で乙川被告の両肩を押さえて身動きできないようにし、更に、抵抗する乙川被告の首筋付近を左肘で押さえつけながら右手で乙川被告の頬部付近を一、二回叩いた。しかし、それでも乙川被告がおとなしくならなかったことから、丁海医師は、更に一〇回くらい乙川被告の頬部付近を叩いたところ、漸く乙川被告がおとなしくなった。そこで、丁海医師は、乙川被告を殴るのを止め、丸井看護婦を連れて退室した。
丁海医師が乙川被告の頬部付近を叩いたことによって、同被告の口の中が切れて出血し(乙川被告は、鼻血も出たと言う。)、また、その際の揉み合いにより、乙川被告の点滴の針が外れて用具が乱れるなどした。
乙川被告は、丁海医師から右のような行動をとられたことから、肉体的にかなりの苦痛を受けたばかりか、精神的にも衝撃を受け、暴れると再び丁海医師から殴られるのではないかと怯えて、その後はおとなしくしていた。
(三) (乙川被告の転院)
乙川被告は、同月三〇日、上顎の骨折部分の手術を受けるため、新潟市内の新潟大学歯学部附属病院に転院した。
乙川被告の上顎骨の骨折は、上の歯全体が後に押されて骨折し、下顎骨と噛み合わせが悪くなったというものであり、手術によってその咬合を直すことにしたのであるが、手術前の検査の結果、乙川被告の肝機能に障害があることが判明し、右上顎骨骨折部位は、骨折の状態のままある程度固定化していたことから、同病院では、手術を見合わせ、肝機能障害の経過を見るため、同年七月一日まで検査入院させた後、右大腿骨骨折と右足首骨折の治療の必要があったため、整形外科に転科させた。
乙川被告は、整形外科の担当医師から、「このままほったらかしておくと駄目だ。」旨の説明を受けて、足の骨折部分の再手術を受けた。
乙川被告としては、歯学部の担当医師から、「もっと早く器具で固定しておけば、手術をせずにすんだが、くっつきかけているので、手術しなければならない。」との説明を受けており、丁海医師が、その上顎の骨折部分には湿布しかせず、痛いと言っても取り合ってくれないばかりか、その上顎の骨折している顔面を殴打されて口の中を切るなどの怪我をさせられたので、丁海医師から顔面を殴打されたため上顎の骨折部分が悪化したのではないかとさえ危惧し、その殴打行為に恨みを抱くと共に、前記のとおり足の骨折部分も再手術を要するような始末であったと考えて、丁海医師の治療にも不満を抱いた。
(四) (乙川被告のその後の行動及び丁海医師の対応)
乙川被告は、新潟大学医学部附属病院(整形外科)を退院後、すぐ丁海医師を訪れ、丁海医師と会って、当時のレントゲン写真を返して治療の礼を述べたが、そのときは、同医師から殴られたことについては同医師から謝罪して貰いたいとは思っていたものの、そのことは口に出さなかった。
乙川被告は、その後自宅療養に専念し、前記大学病院に通院して足のリハビリテーションを受けていたが、上顎の骨折部分の手術を受ける前に、同年一一月二三日前橋警察署に覚せい剤取締法違反被疑事件(同年四月五日ころの覚せい剤自己使用)で逮捕され、起訴されて服役(前件の覚せい剤取締法違反等事件の執行猶予付き懲役刑の執行猶予も取り消された。)し、同六〇年九月二六日仮出獄した。
乙川被告は、その仮出獄後間もなく、数回にわたり、丁海医師に電話をかけて、「骨折の治療は、本当に有り難かった。しかし、殴られたことは解決していない。」旨話した。これに対し、丁海医師は、最善の医療活動をしたのであって、喜ばれることはあっても恨まれる筋はないとして、叩かざるを得なかった経緯を説明したが、乙川被告はこれに納得せず、執拗に同じことを繰り返し言うため、その応対に嫌気をさした丁海医師は、自己に暴力団組長の知り合いがいると話せば、乙川被告も引き下がるのではないかと考えて、「宮本組長を知っている。なんならそこで話をつけよう。」などと言った。
乙川被告は、丁海医師から治療を受けたことは感謝していたものの、同医師から殴られたことについては、人の命を預かる医者が暴力を振るうことは絶対に許されることではないと考えており、同医師にその点の謝罪を求めて電話をしていたのであるが、同医師から、謝罪して貰えるどころか、「悪いことはしていない。暴れたからやったんだ。」などと開き直られ、二人で会ってそこで謝罪して貰おうとすると、「宮本組の組長の事務所で話そう。」などと言われ、更には、島影一家六代目総長加藤角四郎や住吉系倉持組代行本木茂の命も同医師が助けているなどという話を聞かされるに及んで、乙川被告は、丁海医師には謝罪する意思が全くないものと感じ取り、同医師の出方によっては警察に訴え出ることも考えていたところ、宮本組長と親戚であるかのような話をされたため、それでは警察に訴え出ることもできないと考えて、その後、丁海医師に電話をかけることを止めた。
乙川被告は、その後、同六二年七月に傷害・恐喝被疑事件で逮捕され、傷害事件の方で罰金刑を受け、同六三年二月傷害被疑事件で逮捕され、これを起訴されて服役し、同年一〇月出所し、更に、同年一二月暴力行為等処罰に関する法律違反被疑事件で逮捕され、これを傷害事件として起訴されて服役し、平成元年一一月に出所した。
(五) (乙川被告の不満のうっ積状況)
乙川被告は、丁海医師から叩かれたことがなんとしても我慢ができず、前記の丁海医師に電話をかけた前後のころ、同医師から叩かれた件について三条市内の法律事務所へ法律相談に赴き、その折、弁護士には会えなかったものの、事務員に話を聞いて貰って、同事務員から、「そんなことは許されないことです。」と感想を述べて貰えたことから、乙川被告は、医者でも間違いを犯せば罪になるものと考えた。
その後、乙川被告は、前記のとおり、傷害事件で服役を繰り返していたのであるが、丁海医師から叩かれたことについて、許せない医者だと思い続け、同医師を懲らしめる手立てはないものかと考え、平成二年八月下旬ころ、新潟市内の新潟県医師会に電話をかけて、同会事務員に対し、「自分の仲間が交通事故で入院したとき、医者から殴られるなどの乱暴を受けた。こういう場合どうすればいいんだ。」「今じゃなくて、五年前のことで、そのときは事情があって警察に届け出なかった。」「病院と話し合って解決してもいいが、院長には話してない。まだ、どうすれば良いのかと考えているところだ。」と相談した。そして、同会事務員から、「それが事実であれば立派な事件であり、法に触れれば処分もあるし、会員からおろさなければならない。」旨説明を受けたことから、乙川被告は、事件になれば医者でも処分を受けることを知った。
乙川被告は、丁海医師から殴打されたことをうやむやにしたくはないと考え続けていたところ、新聞記事を見て教師が生徒に暴力を振るったことが問題となってその教師が処分された事実を知り、入院中に丁海医師から自己が叩かれたことは事実であったことから、同医師に謝罪をさせようとの気持ちを募らせ、同医師に面談を求めることとした。
(六) (甲野被告らを誘った状況)
乙川被告は、丁海医師に面談を求めることにしたものの、同医師が宮本組長と親戚だなどと言っていたことから、同組長らが出てくる事態もあり得たため、一人では心細くなり、親しく交際している兄弟分の甲野被告を同行することにし、同年九月六日、同人に対し、「俺が三条の丁海病院に入院したとき、そこの先生に殴られたことがある。近々行くから、兄弟も一緒に行ってくれ。」と誘いかけ、甲野被告もこれを了承した。
翌七日午後二時すぎころ、乙川被告が、新潟県長岡市内の甲野被告の部屋にいたところ、甲野被告の友人の丙沢三郎(以下、「丙沢」という。)が乗用車で訪れてきた。乙川被告は、丙沢と甲野被告が一緒に同県西蒲原郡巻町の熱帯魚店へ行くというので、両名が熱帯魚店へ行くついでに丁海病院へ連れて行って貰おうと考えて、甲野被告に対し、「医者のところへ行こう。」と誘いかけた。甲野被告は、丙沢との右の約束が先であったことから、乙川被告の誘いを断った。しかし、乙川被告としては、なんとしても丁海医師と会って話をしたかったため、丁海病院に電話をかけてみたところ、同医師が明日は出張で留守をすると聞かされた。そこで、乙川被告は、今日中に同医師に会うことにし、甲野被告にその旨話をして、丁海病院に寄ってから熱帯魚店へ行って貰うことにした。
被告人両名は、丙沢の運転する乗用車に乗って、同日午後三時三〇分ころ丁海病院に到着した。なお、丙沢に対しては、前もって丁海病院へ立ち寄ることは話していなかった。
乙川被告は、丁海病院の受付へ行き、応対に出てきた五十嵐輝八同病院事務次長(以下、「五十嵐事務次長」という。)に対し、丁海医師との面会を申し出たところ、五十嵐事務次長から、「今は、先生は仕事で手が離せない。午後七時ころには仕事は終わると思う。」旨言われたため、乙川被告は、「じゃあ、午後七時半ころ来るから、会わせて欲しい。」と申し入れて、前記乗用車に戻った。
乙川被告らは、その後熱帯魚店へ行って熱帯魚を見た後、ゲームセンターへ行って遊び、その後、乙川被告は、丙沢に対し、「また、あそこの病院に行ってくれ。」と頼んで、三人で丁海病院へ向かったが、その際も、丙沢に対しては、丁海病院へ行く用件は全く話さなかった。
(七) (丁海病院の対応)
丁海医師は、五十嵐事務次長から乙川被告らが面会に訪れたことを聞かされて、医療活動とはいえ入院患者を殴ったことは事実であり、相手は暴力団員であって仲間三人で来ており、どんな難題を吹きかけられるかも知れず、殊に乙川被告は狂人か覚せい剤中毒者であって自己に恨みがあるとすればどんな危害を加えてくるかも分からず、わざわざ乗り込んでくる以上、それは金銭が目当てであり、これを拒否すれば、自己ばかりか職員や入院患者にも危害を加え、更には、三人で病院内で暴れて医療器具を壊したり、或いは、「暴力医師、入院患者を殴る。」などと言い触らして病院の信用を傷つける所業に及ぶのではないかなどと考えあぐねた末、五十嵐事務次長をして三条警察署に相談に赴かせた。五十嵐事務次長は、同署警察官から、会話内容をテープに録音することや警察官が有事に備えて待機するなどの指示を受け、これを丁海医師に伝えた。
そこで、丁海医師は、右の警察官の指示に従って、丁海病院一階第二外来診察室の机の中に録音機を忍ばせ、少し離れた未消毒室に警察官に待機して貰ったうえ、乙川被告らと会うことにした。
(八) (本件の状況)
乙川被告らは、約束どおり、同日午後七時三〇分ころ、丁海病院に到着した。その際、丙沢から、「俺は、どうしたらいい。車の中で待っていてもしょうがないし、一緒に行こうか。」と申し出があり、乙川被告が、「どっちでもいいが、来るか。」と答えたところ、丙沢が付いてきた。乙川被告は、夜まで面会を待たされたため、宮本組長らが来ているかも知れず、そうなった場合にいわゆる堅気の丙沢を巻き添えにしたくないと考えて、丁海病院一階第二外来診察室へ行く途中で、丙沢に対し、「もめるようなことがあれば、出てくれないか。」と話しておいた。
右診察室では、丁海医師が予め録音機を忍ばせておいた机のそばの椅子に座り、その脇の椅子に五十嵐事務次長が並んで座り、丁海医師の前の椅子に乙川被告が、同被告の両脇に用意された椅子に甲野被告と丙沢がそれぞれ座った。
なお、乙川被告らには気づかれなかったが、丁海医師の要請によって来院した三条警察署の警察官三名が、有事に備えて、少し離れた同病院一階未消毒室内で待機していた。
乙川被告は、殴られたことで文句をつけて怒鳴りつけたり、殴ったり、或いは、物を壊したりすれば、それが犯罪となり、自己ばかりか甲野や丙沢まで逮捕されてしまうと考えており、丁海医師が殴ったことは事実であったことから、同医師がそれを反省しているのであれば、謝って貰えるものと思っていた。
そこで、乙川被告は、丁海医師に対し、「この前にも話したが、先生に暴行を受けたことで話しに来た。」と用件を切り出したところ、丁海医師から、「あんたが騒いだからだ。」と言い返された。そのため、乙川被告は、「騒いだと言っても、殴っているじゃないか。実際うちの親も、婦長も見ている。」「自分のやったことを知らないなんて言い方はないでしょう。」などと文句を言ったが、同医師から、「だけど、あんた、医者にかかったら、静かに…。」「興奮状態で手術してさ。」と反論された。乙川被告は、「顔面を骨折していて、痛かったからだ。それなのに、全く処置とかそういうことをしてくれなかった。」「骨折していたときに、顔を殴られた。鼻血も出るし、口の中も切っているし、先生にやられて、骨折したところが、またひどくなったかも知れない。大学病院で見て貰えば、すぐ分かる。」などと抗議したところ、丁海医師は、「そういうことであったら、ちゃんと弁護士に話して、措置しよう。」と言い出した。そこで、乙川被告は、「弁護士通すも何もないでしょう。私がこの前話したときには、宮本さんの事務所に行って話をするとか言ったでしょう。結構ですよ、行きましょう。」と言うと、丁海医師は、「病院で話を聞くとも言った。」「だってさ、怪我のことについて…」などと言って、再び乙川被告の治療状況の方に話をもっていきそうな言い方をしたため、甲野被告が、「怪我じゃない、暴行のこと…」と言ってこれを押し止め、乙川被告が、「暴行したんだから、立派な傷害事件ですよ。それで県の医師会の方に電話をして、そこの偉い人に話したんですよ。この病院名までは言っていないけどね。実際に入院中に暴行を受けましたと話したら、そりゃ大変だ、こちらの方へ来てどこの病院か報告して、お医者さんの名前を言ってください、と言っていたけど、こっちでは、今話しており、当事者同士で話しますから、そちらの方は、何かあったら…。」と県の医師会に電話で相談をした模様を説明した。これに対し、丁海医師は、「何年前」「本当に私は悪いことをしたと思っていない。」などと言い、「看護婦に手を出した。大騒ぎした。他の患者さんに物凄く迷惑をかけた。」「パンチなんかしていない。」「私は悪いことをやっているとは思わないし、どういうふうにしろと言うのか。」「俺に謝れと言うの。」「今日で終わりにしたい。」などと言うに及んだため、乙川被告は、同医師は殴ったことを全く反省しておらず、許せない医者と考えて、「今日で終わりも何もないさ。話で終わる問題じゃないでしょう。刑事事件にもなるんだし。」と追及を続けた。甲野被告も、これに調子を合わせて、「そう、刑事事件にしてもいいし。」と言ったところ、丁海医師は、「あんたがそう思うのなら、刑事事件にしてちょうだい。」「こっちは悪いことをしたとは思っていない。」と答えた。そこで、乙川被告が、「この前、先生に電話したとき、「あんときは、俺は殴って悪かった。」と自分で言っていたじゃないか。」と文句言うと、丁海医師が、「あんたが謝ってくれと言ったから、謝ると言った。」「どうやって欲しいの。」と言い返すので、乙川被告は、「先生のとろこへ来て、バチバチと叩いて、後で、俺は悪いことをしないと思う、どうでもいいと。」と言って、解決方法として殴ることもあるという趣旨の説明をしたところ、丁海医師は、「今のとは違うさ。」と答えた。そのため、乙川被告が、「宮本さんの事務所に来いって言うなら、今から行くから。」と言ったところ、漸く丁海医師が、「謝るって。」と言い出したものの、乙川被告は、その言い方に不満があり、「謝るだけでは済まないでしょう。」と文句を言った。そうすると、丁海医師が、再び、「じゃあ、どうしたらいいの。」と開き直ったような言い方をしたため、甲野被告が、「謝ると言うのなら、謝るの。」とたしなめ、乙川被告も、「謝って終わりなら、警察だって要らないさ。」「謝って済むような問題じゃないでしょう。」と憤懣の気持ちを述べた。そこで、丁海医師は、「だからどうしろと言うの。」「つまり、金かい。」と言い出してきたことから、乙川被告は、やくざ同士の喧嘩でさえも相手方に慰謝料を支払うことがあり、ましてや医者が入院患者を殴ること自体が許せないことであって、これを表ざたにしないために示談をして慰謝料を支払うのは当然のことと考えて、「そうでしょう。」と答え、更に、殴られた上顎が今でも骨折している旨訴えた。それに対して、丁海医師は、「叩いても、骨は動いていない。レントゲンを見ればすぐ分かる。」と反論したが、乙川被告は、暴行がひどかったと繰り返し主張するため、丁海医師は、諦めて、「弁護士ともう一回よく相談してみる。それでもう一回話をしよう。一週間後位に俺の方から電話を入れる。」と言ったところ、乙川被告は、これに納得して、甲野被告らを連れて退室した。
なお、丙沢は、乙川被告も丁海医師も共にかなり興奮している様子であったことから、乙川被告において、「金を払え。」と言い出したり、丁海医師を殴りつけたりするのではないかと心配し、実際に殴り合いになれば止めに入るつもりでその場の成り行きを見守っており、終始沈黙していた。
また、右の話し合いの途中で、丁海医師が不注意に机の引き出しを開けたため、録音中の録音機が乙川被告らに見られてしまったが、乙川被告は、自己の言動にやましいところはないと考えて、その録音を続けさせた。
(九) (丁海医師のその後の対応)
丁海医師は、乙川被告らが帰った後、待機していた警察官に対し、乙川被告らとの対談の模様を説明して、右の録音テープを手渡し、警察官からは、後で何かあったらまた連絡するよう言われた。
丁海医師は、乙川被告らに金銭を渡すつもりは全くなかったが、一週間後に連絡すると話しておいたことから、五十嵐事務次長と善後策を検討した結果、金を払うと言って乙川被告を呼び出し、その場に警察官に来て解決を図って貰うことにし、万一警察官がその場に来られなかった場合に備えて現金を用意することにした。なお、その現金額については、丁海医師らは、一〇万円や二〇万円では乙川被告が納得しないであろうし、三人で来ているので一人一〇〇万円として合計三〇〇万円を用意しておけばよいのではないかと打ち合わせて、現金三〇〇万円を用意することにした。五十嵐事務次長は、その打合せに従って、現金を用意したうえ、乙川被告と連絡をとる一方、三条警察署へも乙川被告が来ることを通報した。
乙川被告と甲野被告は、同月一八日午後一時一五分ころ、その現金を受け取りに丁海病院駐車場に行ったところ、これを待ち受けていた三条警察署の警察官が、予め発付を得ておいた前記の録音にかかる交渉状況を恐喝未遂事件とする逮捕状で被告人両名を逮捕した。
2 (判断)
(一) 検察官は、「被告人両名は、丁海医師(以下、「被害者」という)の殴打事件について、「刑事事件にする。」とか「医師会に持ち込む。」旨申し向けており、その文言は、本件に至る経緯に照らすと、内容自体から、医師としての社会的地位を有している被害者を畏怖させるに十分なものであって、恐喝罪でいう脅迫行為に該当する。」旨主張する。
よって、検討するに、乙川被告が、被害者に対し、刑事事件或いは医師会の話を持ち出した状況は、前項1(八)(本件の状況)で認定したとおりであって、右認定事実によれば、検察官主張のように、それが乙川被告らの恐喝目的で述べた脅迫行為とは直ちに認め難いのである。
この点について、乙川被告は、捜査段階でも、「先生は、殴ったのはあんたが騒いだせいだと言って、一切受け付けようとしないし、私達が来たことが迷惑らしく、弁護士に話してくれと言い、その誠意のない態度を見て、許せない医者だと思った。以前に宮本さんの事務所に行ってもいいと言っていたので、これからそこで話しようと誘い出したが、断られてしまった。そこで、「立派な傷害事件だ。県の医師会にも電話で話した。名前は言っていないが、当事者同士で話します、と言っておいた。」などと言って、説明するつもりで話した。しかし、先生には、誠意がなく、俺は悪いことをしていない、謝れと言うのなら謝ると答え、全く反省していない状態だった。その態度を見て、許せない医者だと思ったからこそ、「話だけで済む問題じゃない。刑事事件にもなるんだし。」などと、要は、訴えれば、傷害の犯人として新聞に載ることがあり、そうすれば病院や本人の信用に傷がつくと言って暗に説明したが、逆に、すっきりするから刑事事件にしてもよいと言われてしまった。こんなことで、先生は謝らないし、私も謝って済む問題じゃないなどと詰め寄ったことで、先生の方から、じゃあ、どうすればいいのと聞くので、殴りつける気持ちはなかったが、解決方法として殴ることもあるように言った。先生は、謝ると言ったものの、腹の虫が収まらないことから、「悪かったなと、それで終わる問題じゃない。謝って終われば、警察はいらない。」などと文句をつけた。結局、先生が、どうすればいいの、金かいと金で解決してもいいように言うので、悪いことをして表に出ないのなら、金で解決するのが当然と思ったことから、そうでしょうと答えた。」旨供述(乙川被告の司法警察員に対する平成二年一〇月四日付け供述調書)しており、当公判廷においても、乙川被告は、被害者に金員を出させるための手段として、被害者から殴打された事件を医師会に持ち込むとか或は刑事事件にすると申し向け、医師としての社会的地位を有する被害者を畏怖・困惑させようとしたことを一貫して否認しているのである。
乙川被告の右の供述は、前項1(八)(本件の状況)で認定した乙川被告らの被害者との面談状況と矛盾するものではなく、交通事故で負傷して入院中の乙川被告に対してとった被害者の殴打行為が、入院中の乙川被告の行状の悪さを十分に考慮に入れたとしても、決して妥当な処置とは言い難く(現に、その殴打状況を目撃していた丸井看護婦は、被害者を擁護する立場からの目撃状況の供述をしながら、「私自身は、ちょっとやり過ぎかなという感じでみていました。」と証言している。)、その非を全く認めようとしない被害者に対し、傷害事件で再三処罰されてきた乙川被告が、被害者の殴打行為が刑事事件にもなると言い出したことは、被害者の前記認定にかかる応対状況からすれば、これに業を煮やした乙川被告の苛立ちから出た言葉とみることができ、乙川被告が、医師会に相談した件を持ち出したのも同様であって、乙川被告の金員を喝取する目的での言辞ではない旨の前掲否認供述を、あながち虚偽として否定しさることができないばかりか、そもそも乙川被告らの右の言辞を違法な「脅迫行為」と評価することも相当ではない。
以上、要するに、検察官の前記主張は、恐喝事件の一般論としてはそのように言い得ても、本件の乙川被告らの刑事事件云々の言辞が、恐喝の実行行為としての脅迫行為にあたるとは認め難いのである。
(二) 更に、検察官は、「近時、暴力団構成員による犯罪の手口が巧妙化していることは、顕著な事実であり、暴力団構成員による恐喝事件で、怒声を張り上げ、凶器を示して脅迫する粗暴な手口は、むしろ古典化しており、本件のごとく、はっきり言葉に出して金員を要求することは勿論、怒声・粗暴な言動をも極力避け、後日事が露見した場合の弁解に備えるというのが実態である。」として、「被告人両名は、本件犯行当時、終始、或いは股を大きく開き、両肘及び胸を張り、或いは頬杖をついて、いずれも被害者から視線を離さずに睨み続けており、その姿勢・程度は、常人の常識に照らし、到底、穏やかな交渉事をする者の態度ではなく、人を畏怖させるに十分な姿勢・態度であり、現に、被害者は、「非常に怖くて、ときどきおちんちんを握りまして、ああ小さくなっているなと…。」と証言している。被害者において、被告人両名が暴力団構成員であることを熟知し、乙川被告については、成り行き次第で何をするか分からない覚せい剤中毒者である疑いすら抱いており、そのような被告人両名から、七年以上前の出来事を蒸し返され、それを種に金員の要求をされたものであり、強く畏怖の念を抱くのが当然であって、被告人両名の口調がいかにあれ、右の如き姿勢・態度で発せられた本件文言は、恐喝の手段たる脅迫に優に該当する。」と主張する。
成る程、暴力団構成員による恐喝行為の現在の実態が、検察官主張のようなものであるとしても、本件が、その恐喝行為の一つであるかどうかは、本件事案の実態に即して更に検討を要するところである。
そこで、これを検討するに、確かに、被害者との面談に際し、乙川被告らが、検察官の主張するような態度をとったことも間違いないところと思われ、また、乙川被告が、被害者の殴打行為の不当性を訴えるようになった時期の遅さや乙川被告のその訴えの執拗さは余人をして辟易とさせるものではあったが、しかし、前認定にかかる被害者の乙川被告に対する殴打行為の不当性、その非を問う乙川被告に対して被害者のとった態度などからすると、乙川被告らが検察官主張のような態度に出たとしても、直ちにこれをもって、無言の脅迫行為として違法視することは相当ではない。
これを、更に、事案に即して詳述すると、被害者も、乙川被告らの行動状況について、「動作が怖かったのが一番です。ちょっと、身体を動かすと、何をするのだろうということで、怖かった。三人の態度・姿勢から、威嚇されているなということがよく分かった。」旨証言しているのであるが、しかし、前掲証拠によれば、被害者側では、事前に被告人らが来院することが分かっていたことから、警察官に相談し、その指示を受けて机の中に録音機を忍ばせ、乙川被告らとの会談の模様を録音して証拠化する手段をとっているばかりか、有事の事態に備えて、近くの部屋に警察官三名を待機させており、更に、何をされるか分からないとの配慮から、室内の器具類を別の場所に移動させた上、被害者と一緒に五十嵐事務次長(当時三五歳)も立ち会うなどして、万全の対策をたてて乙川被告らと会っているのである。
そして、乙川被告らが、被害者に対して、怒声や粗暴な行動に出ていないことは検察官も認めるところであるが、現場録音にかかるテープを再生してみても、双方の言葉の応酬内容からすると、むしろ乙川被告はかなり自己を抑制して被害者と応対し続けていたといえる会談模様となっているのである。検察官は、乙川被告らの姿勢・態度が威圧的であったというのであるが、検察官の指摘する乙川被告らの姿勢・態度は、暴力団員の平生の行動に見られるそれも含まれており、かつ、法廷での乙川被告の態度にも見受けられたことからすると、検察官の指摘する乙川被告らの姿勢・態度をもって直ちに被害者に対する恐喝の手段としての威迫行為と認定することに困難が伴うばかりか、前認定にかかる被害者の乙川被告に対する殴打状況、その謝罪を求める乙川被告に対し、被害者のとり続けた拒否的態度、応対の状況等を併せ考えると、その場に立ち会った五十嵐事務次長は、「食ってかかるような場面もあったので、そういうところを見ると、やはり怖いと思った。」と証言するものの、その程度の目撃供述にとまっており、そうすると、乙川被告らの姿勢・態度は折り合いのつかない交渉現場にまま見受けられる範囲内の当事者のそれにすぎず、乙川被告らにおいて、恐喝の実行行為として、殊更に粗暴な行動に出たり、或いは、そのような素振りをして脅し、被害者がこれに怯えるような状況にあった、とまでは認め難く、現に、五十嵐事務次長は、「(被害者は)空元気で結構やっていたと思う。中の端のほうに警察の方がおられますので、そういう面の安心感は多少あったと思う。」と証言しているのであって、被害者が証言するほどの乙川被告らの脅迫的動作があったとは言い難いのである。
(なお、被害者においては、乙川被告らの右の姿勢・態度のほか、乙川被告から暴力団員の名前を出されたり、或いは、叩いて済む訳じゃない、と言われたことが怖かった旨証言するが、前認定によれば、乙川被告が暴力団員の名前を出したというのは、最初に被害者の方から暴力団の幹部に親密な間柄の者がいるかのような話を持ち出したため、乙川被告がその被害者の話に乗った、というにすぎず、また、叩いて云々と言う話も、被害者が、殴打事件の責任をどうとれば良いのかと尋ねたため、乙川被告が、被害者がやったと同じように、叩き返した上それは悪いことではないと嘯くことでも良いと答えた、というものであって、いずれも乙川被告が、脅迫行為の一つとして、暴力団員の名前を出して脅したり、或いは、叩いて済む訳じゃない、と申し向けて更にいかなる危害をも加えかねない気勢を示した、というものでもない。)
(三) 当裁判所としては、乙川被告らの言動は、被害者に対し、かなり古くなった出来事を持ち出して、執拗に謝罪を迫ったり、或いは、複数の人数で押しかけるなどの点で穏当を欠くものであったとは言えるものの、前認定にかかる被害者の乙川被告に対する殴打状況やこれに不満を訴える乙川被告に対する被害者の対応のまずさ(これらは、乙川被告の入院中の行状が余りにひどかったため、被害者としては、窮余の一策として、乙川被告を殴打するという荒療治に出てみたわけであるが、その方法が必ずしも当を得たものではなかったため、これに不満を持つ乙川被告から追及を受けるところとなり、被害者としては、乙川被告が暴力団員であることを知っており、覚せい剤常用者かも知れないと考えたがために、乙川被告に対して適切な対応がとれなくなったのであるが、これは一般社会人としてやむを得ないところがあり、一概に被害者のみを責めるわけにはいかない。)などからすると、傷害事件で検挙・服役を重ねさせられてきた乙川被告が、再度、謝罪を求めて被害者と交渉しようとしたこともあながち不当な行動として非難するわけにもいかず、前述のとおり、被害者の乙川被告に対する殴打行為が正当な医療行為の範囲内とは言い難いことからすると、被害者としては乙川被告との交渉に応ずるべきであり、その交渉の中で、乙川被告らの言動の一つ一つを取り上げると、そこに非難に値するものが見いだせるにせよ、それは被害者の応対の仕方に原因を求めることができるのであって、乙川被告らの右の言動は、その交渉場面の全体からみれば、これを違法な脅迫行為として捕らえることが困難であり、右交渉に際して、被害者側では、有事に備えて警察官を近くに待機させたうえ、録音機を忍ばせて密かに乙川被告らの言動を録音しており、被害者と一緒に病院の事務次長も立ち会い、乙川被告らが暴れても大丈夫なように器具類等も片付けて、万全の体勢を整えているなどの前認定の客観的事実関係を併せ考えると、乙川被告らの言動が、被害者を困惑させるものであったにせよ、これをもって恐喝罪にいう脅迫行為に該当するとは認め難いのである。
(なお、金員要求の意図についても、乙川被告はこれを否認しているが、この点についての乙川被告の供述が全面的には直ちに信用し難いものの、しかし、乙川被告らに最初から金員を「喝取」する意図があり、検察官のいう乙川被告らの「脅迫」行為が、金員の交付を求めてのそれであったとする証拠も十分とは言い難い。)
(四) そうすると、本件恐喝未遂については、犯罪行為の証拠がないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条後段により被告人両名に対し無罪の言渡しをする。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官林潔)